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竹内力さんは1964年1月4日生まれの59歳(2023年5月現在)です。俳優の他にもタレント・歌手・映画プロデューサーとしても活躍しています。
1997年8月に自身で設立した、RIKIプロジェクトの代表取締役です。
学生時代の先輩に誘われて東京へ、ライブハウスでバイトしていたところをスカウトされて芸能界に入りました。公式には1985年に21歳でデビューとなっています。この頃は爽やかな二枚目、アイドルっぽい路線でした。
それからは爽やかな役に限られることなく、コワモテ、暴力的なシーンもこなす器用な俳優として多くの作品に出演しましたが、知名度はそこそこ。
竹内力さんが一躍有名になったのは、1991年のドラマ「101回目のプロポーズ」のおかげだと言われています。主人公・武田鉄矢さんのライバル役だった竹内力さんも脚光を浴びました。
現在はVシネの帝王と言われていますが、実は元銀行員だったという噂が。今回はそんな竹内力さんの意外な裏の顔を暴露していきます。
竹内力の嫁と子供を徹底調査!画像がヤバい?
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竹内力さんは結婚をしていますが、実は2回結婚していました。しかも1人目はかなり年下だといいます。
竹内力さんと結婚をした人はどのような人なのでしょうか。
1人目の嫁は16歳も年下だった?職業や経歴は?人物像が知りたい!馴れ初めは?
最初の結婚は2000年です。竹内力さんが36歳の頃なので、割と遅めの結婚になります。お相手は16歳年下の一般女性でした。
一般人ということで詳しいプロフィールは不明ですが、飲食店で勤務していたことが知られています。
レストランのウェイトレスか、キッチンスタッフでしょう。もしくは、竹内力さんが通っていた夜のお店のホステスさんかもしれませんね。
1人目の嫁との間に子供はいた?親権はどちらに?
一人目の嫁との間には、ひとり子供がいます。
竹内力さんと1人目の嫁は2006年1月19日に離婚。子供はなんと竹内力さんが引き取ったそうです。
普通であれば母親が親権を持つのが普通な気もしますが、竹内力さんは男気が溢れているのでしょう。子供の世話を自分がみるとは凄いですね。
1人目の嫁との離婚理由が知りたい!
2人の離婚理由は「すれ違い」だそうです。Vシネや事務所の経営で忙しかったでしょうからね。やはり人気俳優と結婚するのは難しいのでしょう。
2人の離婚では「財産分与」がなかったそうです。普通は、家や車などを分け合うのですが、それをしないということは竹内力さんが元嫁に「全部あげた」のか、それともお金はいらないから早く離婚したかったのでしょうか。
子供の親権は竹内力さんが持っているので、元嫁は精神的に病んでしまったか、他に男ができた可能性もありますね。細かい事情は発表されていません。
しかし、竹内力さんは「家庭のために頑張ろう!」と思った途端、嫁の気持ちが離れてしまったといいます。子供ができたので仕事に励もうと思ったら離婚。なかなかうまくいきませんね。
それにしても竹内力さんの結婚生活が想像できないです。
2人目の嫁
竹内力さんは2010年11月に一般女性と再婚しています。この時竹内力さんは46歳、嫁は10歳下だそうです。年下が好きなんですね。
2人の馴れ初めは、結婚の1年ほど前に知人のパーティーで知り合ったといいます。
嫁の名前は「由紀子」さんで、竹内結子似の美人だそうです。フィリピン人だとか、フィリピンパブで知り合ったとかの噂が流れましたが、本当なのでしょうか。
実は、嫁は「竹内力の妻」としてバラエティー番組に出演したことがあります。
思いっきり日本人でした。
ちなみに一人目の奥さんがフィリピン人だという噂もあるようですが、それも同様にデマのようです。
少しギャルっぽい感じが好きなのでしょうか。現在も結婚生活が続いているのでかれこれ10年近くなりますね。最初の嫁とは6年ほど続いているため、今の嫁の方が合っているのかもしれません。
竹内力の嫁はフィリピン人やフィリピン国籍ではなく日本人女性であることが分かりました。
では、何故嫁にフィリピン国籍説が浮上してしまったのでしょう。
竹内力といえばやはり映画やVシネマの印象ですよね。
いわゆるその筋の役柄が多く、作品内でホステスとお酒を飲むシーンが多いことから嫁が外国人と連想されて結果的に「嫁はフィリピン国籍・フィリピン人だ」と噂されるようになったのでしょう。
たしかに夜のお店のシーンが多ければそういったイメージは付きやすいですよね。
しかし由紀子さんは日本国籍を持つ日本人なのでお間違いなく。
竹内力は2人目の嫁との間に子供はいる?
二番目の嫁である由紀子さんには、連れ子がいたようです。竹内力さんにも子供がいますので、お互いに「子連れの再婚」でした。
そのため、一気に4人家族となったのです。彼女に子供がいても受け入れられる竹内力さんは、やはり大きな器の持ち主なのでしょう。
親権も竹内力さんが持っているので、子供が好きなのかもしれませんね。
現在は、竹内力さんと由紀子さんの間には子供がいません。子供はもう作らなくても十分だったのでしょう。
おそらく竹内力さんの子供の龍くんも、他の子供とうまくやっているのではないでしょうか。
自分に兄弟ができるとは思っていなかったかもしれませんね。
竹内力の子供の現在
竹内力さんの実子の名前が判明しました。
2015年12月22日に大阪で開かれた「龍が如く0」のイベントに出席した竹内力さん。出演を決めて理由は?という質問に、
「天がね、俺を呼んでいたんですよ。ウチの息子の名前も“龍”なんだけど」と答えています。
竹内龍、強そうな名前ですね。
また、大分県に住んでいる「竹内力の息子と同級生」という人のTwitterが話題になったこともあります。
真偽のほどは分かりませんが、それによると、竹内龍さんは「色白で背が高く、そこそこのイケメン」だとか。
竹内力さんは大分県の出身なので、息子さんは実家にいるのかもしれませんね。竹内力さんも大分にはちょこちょこ帰っているそうです。
竹内力の息子・龍は俳優をしているという噂はデマ!
竹内力の息子は龍という名前であることが分かりましたね。
前妻との間の息子ということですが、息子・龍について調べたものの顔画像などは一切公開されていませんでした。
ただ同級生の方によると色白の高身長でイケメンとのこと。
現在は一般人のようですね。
龍くんが俳優という噂も浮上していましたが、これは竹内力が「龍が如く」に出演した際に龍くんの名前を出したことで出回った噂だと思います。
一般人ということで今後も情報が公開されることはなさそうですが、龍くんも竹内力のようにカッコイイ男に成長していくことでしょう。
竹内力の若い頃がイケメンすぎる!銀行員時代とトレンディ俳優時代を徹底調査!
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竹内力さんは高校卒業後、三和銀行(現・三菱UFJ銀行)に就職しています。サラリーマン生活を経験していました。
あまりにも意外すぎる職業ですが、その時に作られた伝説があるようです。どのようなものか見ていきましょう。
意外すぎる銀行員時代!ヤバすぎる逸話とは?
大阪の淡路支店に配属され、銀行員として勤務していました。その時に数々の逸話が生まれています。
竹内力さんはちゃんと銀行員をしていたのでしょうか。
竹内力さんは2017年1月30日に行われた映画「王様のためのホログラム」のPRイベントで、銀行員時代の話をしています。
ヤバい逸話その①:リーゼントで窓口業務をしていた?
竹内力さんはイベントで高校時代を振り返り「(自分は退学し)中卒のはずだった。でも運良くいい担任と出会い、そういう優良企業に推薦で入れた」としみじみ語っています。
「つっぱってても、単車に乗ってても、道徳心があって正義の味方であれば担任に好かれてしまう」
サラリーマン時代には7:3分けで働いていたのか?という質問には「自分はずっとパンチパーマやリーゼントだった。いい時代だった」「スーツらしきものは着たけどネクタイはきちんと締めたことがない」とコメント。
銀行員と言えば大量の札束を素早く数えるイメージがありますが、竹内力さんも「独身寮で2~3か月練習した」とのことです。
イベントでは練習用の紙幣を取り出し、扇状に広げてかっこよく数えてみせています。
「ミナミの帝王」での札束を器用に数えるシーンは、銀行マン時代に培われてきた技でした。
何が役に立つか分かりませんね。
ヤバい逸話その②:竹内力目当てに窓口は長蛇の列ができていたってどういう事?
竹内力さんはまた、2019年5月23日放送の「日本人のおなまえっ!」でも銀行員時代について話しています。
銀行の窓口に座っていた竹内力さんは、他の行員とは違い、一人だけリーゼントでした。巻き舌で「いらっしぇませ」と言っていたといいます。
それでもなんと営業成績はトップクラスだったようです。
リーゼント姿がウケたらしく、女性客からよく「ウチの息子に似てる」と言われたそう。「親近感を抱いてもらって、定期(預金)をよくしてくれた」と話しています。
イケメン目当ての若い女性もたくさんいたでしょうね。昔は順番待ちの番号などはなかったので、わざわざ狙って竹内力さんの窓口に行った人も多いでしょう。
話してみると感じが良くて親切な竹内力さん。そのギャップに営業成績が良くなるのも納得です。
ちなみに、銀行は2年ほどで退職してしまいます。飽きてしまったのでしょうか。
銀行員を退職して上京
デビュー前は三和銀行(現在の東京三菱UFJ銀行)の銀行員だった竹内力は若い頃東京で働いている先輩から誘われて上京したそうです。
上京後どんな仕事をしていたのか調べたところ、なんとライブハウスでウエイターとして働いていたことが明らかになりました。
竹内力のような人がウエイターをやっていたらちょっとドキっとしますが、当時はまだ今のようにコワモテではなかったので周りのお客さんも可愛らしい店員さんがいるな~と思っていたかもしれませんね。
どんな芸能人にも下積み時代はあるもの。
その後デビューして大成しているんだから大したものです。
実はライブハウスで勤務中にスカウト
先輩にいざなわれ上京し、その後ライブハウスでウエイターとして勤務していたという竹内力。
なんとそのライブハウスでスカウトを受けたきっかけで芸能界入りを果たしたというのです。
働いているところをスカウトされるなんてすごいですよね~。
現在の竹内力といえばどちらかといえばコワモテで強い男というイメージで爽やかなイケメンではないですよね。
若い頃はそんなにイケメンだったのでしょうか…?
まだ駆け出しのころの竹内力の画像を参照してみると
たしかに今とは全然違いますね。
どうしてこうなったのでしょう(笑)
1986年に映画「キャバレー」「彼のオートバイ、彼女の島」で二作同時デビューを果たしてからはどちらかというと爽やかなイケメン寄りの俳優として活動していましたが、本人の理想は違ったみたいです。
竹内力がもともとやりたかったのはコワモテの俳優。
その後希望通り強い男・コワモテとしての役柄が増えたので本人も納得していることでしょうね。
2018年にWOWOWのオリジナルドラマ「黒書院の六兵衛」で西郷隆盛役を演じたときは濃い顔でハマり役でした。
今のようにコワモテ代表になるまでにこんな過去があったんですね。
強面の現在からは想像つかない!トレンディ俳優時代のドラマの役柄がヤバい!
今の姿とは想像ができませんが、昔は爽やかな役もこなしていました。なかなか芽が出ませんでしたが、甘いマスクが役にぴったり合っていたようです。
ドラマその①:『彼のオートバイ、彼女の島』爽やかイケメン役
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竹内力さんが俳優としてデビューしたのが、1986年公開の角川映画「彼のオートバイ、彼女の島」です。
原作は「スローなブギにしてくれ」「メイン・テーマ」などで有名な片岡義男さん。監督は青春映画の巨匠大林宣彦さんです。主演はすでにトップアイドルだった原田知世さんの実姉である原田貴和子さんで、原田貴和子さんもこれが国内映画デビュー作でした。
当時、角川映画といえばアイドルを主役にしたトレンディスタイルで一世風靡していましたが、「彼のオートバイ」もキャスト・スタッフを見れば気合の入りかたが分かります。
主演の原田貴和子さんの相手役に選ばれた新人の竹内力さんが、いかに期待されていたかも想像できます。
それにしても今の面影は全くありません。
ドラマその②:『101回目のプロポーズ』好青年のバイオリニスト役
画像引用元:https://ssl.nijikei.net/blog/wp-content/uploads/2018/07/101回目のプロポーズ竹内力-400×300.jpg
デビュー以降、多くの作品に出演し、力をつけてきた竹内力さんですが、知名度という意味ではまだまだでした。その壁を破ったのは1991年放送のドラマ「101回目のプロポーズ」ではないでしょうか。
「101回目のプロポーズ」は「高校教師」「ひとつ屋根の下」他たくさんのヒットを生んだ野島伸司さんの脚本、いわゆるフジテレビ月9ドラマです。
浅野温子さん・武田鉄矢さん主演で爆発的大ヒットになりました。このドラマは大人の恋愛をシリアル&コミカルに描いたもので「僕は死にません」という名セリフはみんながマネしています。
竹内力さんは、浅野温子さんに恋をする若手バイオリニスト役で出演しました。この時の爽やかイケメンぶりに世の中の女性が注目。
すでに人気俳優だった江口洋介さん(武田鉄矢さんの弟役)をおしのけ、「このカッコイイ人は誰だ?!」と関心が集まったのです。
しかし竹内力さんは「自分とは違う性格を演じるのが苦痛で10円ハゲができた」と話しています。もしかして、銀行時代も10円ハゲができたから辞めたのでしょうか。
トレンディ俳優からVシネ俳優に転向した背景
竹内さんと言えばVシネの帝王というイメージが強いですよね。Vシネマはもともと東映がレンタルビデオ専用に作った映画作品のことです。(今は東映以外の作品もVシネを名乗れます)
邦画の人気が落ち、映画館の観客が減っていたことに危機感を感じていた東映は、ビデオ専門のオリジナル作品作りに踏み出します。映画館にかける費用を削減し、その分を作品に費やしてクオリティを上げるという狙いがありましたが、資金を回収できる確信はありませんでした。
この頃は、各家庭にビデオデッキが普及し、全国各地にレンタルビデオ店がオープンする流れがあり、「Vシネが面白い」という評判が口コミで広がります。
ビデオ作品だからこその残新な企画や、無名だけど将来性のある俳優を積極的に起用するなどしたことで、Vシネブームが起こります。
制作者サイドには「自分たちでブレイクする俳優を育てたい」という気持ちもあったようで、実力はあるが知名度はまだイマイチであった竹内力さんをキャスティングしたのも当然だったでしょう。
「Vシネに出たい」と逆オファーする俳優も多くいたそうなので、もともと「リーゼントの不良学生」だった竹内力さんがコワモテ作品に出演するようになったのも、自然な流れだったようです。
ちなみに、竹内力さんは1994年、30歳だった時に脊髄損傷の大怪我をし、半身不随になりかけています。復帰するのに1年のリハビリが必要だったそうです。
その経験から「残りの人生、後悔したくない」と決意。個人事務所を設立し「やりたい仕事だけやる」というスタンスになりました。そういうこともあって、爽やかなトレンディ俳優からVシネの帝王になったのです。
竹内力さんは1992年に「難波金融伝・ミナミの帝王」に主演して、このシリーズを大ヒットさせました。
そうして、哀川翔さんや小沢仁志さん、白竜さんと共に「Vシネ四天王」と呼ばれるレジェンドになったのです。
このまま爽やか系の役にいっていたら、ぱっとせずに終わってしまったかもしれませんね。