画像引用元:https://www.lmaga.jp/news/2021/09/325618/
今回は、中川翔子の父親に関する話題をお届けします。
『しょこたん』の愛称で親しまれる中川翔子ですが、亡き父・中川勝彦に語った思いが注目を集めています。
中川翔子の父親は一体どんな人物だったのでしょうか?
父・中川勝彦の人物像に迫るとともに、中川翔子の父への思いと葛藤をご紹介します。
・父親に対する想い
・中川勝彦の人物像
Contents
中川翔子が亡き父親へ語った思いとは
この投稿をInstagramで見る
✅しょこたんこと中川翔子の父親・中川勝彦は1992年9月17日に帰らぬ人となっています。中川翔子は父親に対するある複雑な心境を、過去のインタビューで明かしています。
以前インタビューで父親について聞かれた中川翔子は、幼い自分を残して旅立ってしまった父・中川勝彦に対して以下のような葛藤を明かしていました。
「初めて自分でライブをするまで、ずっと父のことが嫌いだった」
幼くして母子家庭になってつらい経験をしたことや、思春期にいじめを経験したことで、いままで父親を責めるような思いがあったようです。
しかし、2007年に初めて自身のライブを開催し、その複雑な思いは消えたそう。
当時のコンサートでは、中川勝彦が書いた曲を歌っており、父親を責める想いとともに心のどこかではずっと、もっと父にそばにいてほしかったという切ない感情もあったのではないかと推測します。
中川翔子は、父の楽曲に自分が曲を付けた経験に関してブログで以下のようにコメントしています。
父のお墓の左横に石板があり、そこに「この思いまた逢えるまで、さあ風に乗れ…」と彫ってある。これも父が書き遺した詞だった。
そしてこの詞もこの曲の歌詞の中に入れてみた。
私の声で父の言葉が風に乗って飛んでいく。
それを感じながらその昔私が芸能界を志した頃に私がここで父に手を合わせて父の分もがんばりますと約束したことを思い出した。
その約束を1つの形にしてやっと果たせたような気がした。父もきっとあの時に「しょうこ!力を貸すよ!頑張れ!」と私に約束をしてくれていたのではないかと思った。
そうすると私の約束が1つと父の約束が1つで2つの約束が守れたことになる。
できたての新曲を聴き終えて父の写真を見るといつもよりも微笑んでくれているように見えた。私はまたこれからも頑張るねと父に新しい約束をした。
中川翔子は父親を責める想いが消えたことを「長い反抗期が終わった」と表現していました。
若い頃はそばにいなかった父親に複雑な感情を抱いていたのでしょうが、年齢を重ねて自分が父親と同じ道を歩むようになり、父親が自分に託した本当の気持ちが分かるようになってきたのでしょう。
中川翔子は、Twitterでも頻繁に以下のように父親について言及しています。
父の、ライブ前の楽屋の写真かな?
うれしそう、たのしそう。
歌を歌うこと、絵を描くことが本当に大好きだったんだな pic.twitter.com/2nzQsKBTlv— 20周年の中川翔子🐯 (@shoko55mmts) September 30, 2019
今日は9月17日
父、中川勝彦の命日です
空に旅立ってから25年
だけどまだまだたくさんの生きた証と足跡、見つかります、残ってます pic.twitter.com/5iNHsO8HQ8— 20周年の中川翔子🐯 (@shoko55mmts) September 17, 2019
今はもう会えない二人ですが、いろいろな思いや時間を経てとても強い絆で結ばれていることが分かりますね。
中川翔子の想いに寄せられたメッセージ
✅Twitterでは、中川翔子の父親に対する想いについて様々なメッセージが寄せられました。
一部を紹介します。
そして今しょこたんが楽しそうに、
歌ってる☺️
本当にお父さんに似てますね‼️— かずきんぐ🔱🦐 (@kazuking_beako) September 30, 2019
昨日、帰りの運転で谷根千を通りました。あの辺りを通ると勝彦さん、勝夫さん、しょこたんの事が思い浮かびます。
— 🐅かわうそ🐯ロンリードライバー (@sasuke_ameshort) September 17, 2019
しょこたんが一生懸命発信してね^^
それと、ママを大事にしてね。
あと、自分自身も^^パパはしょこたんを、ママを見守ってくれてるよ^^♥
— ごんた ろ@悲しみはあなたの心ひとつで消えるのよ (@gongontaro) September 17, 2019
多くの人が、中川翔子と父・中川勝彦の関係に対して温かい声を寄せています。
ツイートにもありますが、中川勝彦も天国でしょこたんのことを一生懸命見守っていると思います。
中川翔子の父親に対する熱い思いは、きっと伝わっていることでしょう。
中川翔子の父・中川勝彦の人物像
この投稿をInstagramで見る
✅続いて、中川翔子の父・中川勝彦の人物像について詳しくお話しします。
中川翔子の父親は中川勝彦という名前です。
以下が、中川勝彦のプロフィールになります。
・名前:中川勝彦(なかがわ かつひこ)
・生年月日:1962年7月20日
・出身地:東京都文京区
・職業:マルチタレント
・学歴:慶應義塾大学中退
文京区出身の中川勝彦は、2022年2月現在生きていれば59歳になります。
1994年9月14日、当時32歳という若さで帰らぬ人となっています。
しょこたんは中川勝彦が23歳のときの子だということになりますね。
生前はミュージシャン・歌手・俳優・声優と娘の中川翔子と同じようにマルチタレントとして活動していました。
顔画像は以下の通りです。
私が子供の頃、同級生のお姉さんが
中川勝彦(しょこたんのお父さん)が大好きで一緒にコンサートに行ったりしてました。
三浦海岸に来た時の写真がありました。懐かしい😊🌊⛱ pic.twitter.com/YlP2P7cwf1— さとぴ (@JkgHxUQESI2BZG8) July 17, 2019
めちゃくちゃイケメンですね!
これは女性だけでなく男性からも人気がありそうです…
経歴
✅中川勝彦の経歴を確認していきましょう。
会社社長の長男として文京区にうまれた中川勝彦は、文京区立第六中学校卒業後慶應義塾高等学校に進学します。
高校ではフェンシング部に入部し、バンド活動を並行していました。
その後1980年高校3年生のときにNHKの『ヤングミュージックフェスティバル』に出演し、芸能界デビュー。
マルチタレントとして様々なジャンルで活躍することとなります。
大学は慶應義塾大学に進学していますが、中退しているようです。
また中川翔子の母・桂子とはデキ婚でしたが、イメージダウンになりかねないとのことで公にすることなく、生前子供がいることすら関係者とわずかな友人しか知らない状態でした。
中川翔子がデビューし、「父親は中川勝彦」と明かすまで中川勝彦と中川翔子が親子であるという事実は芸能界では誰も知らなかったそう。
職業
✅では、中川勝彦のマルチタレントとしての活動はどんなものだったのでしょうか?
中川勝彦は歌手・俳優・声優・ミュージシャンとしてマルチに活躍していました。
俳優としては『転校生』や『ねらわれた学園』など人気作品に出演し、人気を博します。
声優としても活動していたことがあり、『超力ロボ ガラット』では主役のマイケル・マーシュを熱演。
ラジオパーソナリティーとしての活動もしており、娘のしょこたん同様様々なシーンで知名度を上げていくことに成功しました。
また、ミュージシャンとしても成功しており、その美貌と歌声で多くの女性を魅了してきたようです。
2011年3月には、中川勝彦が生前手掛けた絵本『未知の記憶 Unknown Memory』がインターネット書店で復刊されています。
同作品は幼い頃の中川翔子も一緒に作っており、「幻の絵本」と称されています。
こうして活動経歴を見てみると、とても多才な人物だったんですね。
器用で色んな仕事を楽しめる一面は、中川翔子に引き継がれている気がします。
歌手としての実績
✅ここでは、中川勝彦の歌手・ミュージシャンとしての実績をご紹介します。
中川勝彦は1980年代にしては珍しい、ヴィジュアル系アーティストとして活動していました。
グラムロックの日本版として本田恭章とともに美しいルックスで多くの女性を魅了します。
その流麗な見た目とは裏腹に、気さくで腰の低いキャラクターも人気の秘訣でした。
1984年に1stシングル『してみたい』を発売して以降、10枚のシングル、9枚のアルバムをリリース。
またB’zの松本孝弘は、スタジオミュージシャンだった時代に中川勝彦のサポートギタリストを務めていました。
この投稿をInstagramで見る
他にもデビュー当時ムーンライダーズのメンバーが全面的にサポートしており、デビュー後はCharとユニットを結成するなど、著名人との交流も顕著でした。
これだけ有名なミュージシャンと交流しているところをみると、中川勝彦の当時の人気はかなりのものであったことが分かります。
当時中性的なルックスのミュージシャンは少なかったので、重宝されたのではないでしょうか。
歌手・中川勝彦の当時の人気ぶり
✅それでは、中川勝彦はどれくらい人気があったのでしょう?
Twitterで、当時のファンの意見を集めてみました。
ファンクラブ会報 『STARDUSTCLUB vo.14』
かっちゃんの想いのこもった手書きの文章です。#中川勝彦 pic.twitter.com/tgUH0J3WhG
— K’s HOLIC (@katsuhikonakag1) February 13, 2022
高校生になったら、こんなアニメ下敷き使わなくなった。
大人になったから…。多分。
透明の挟むタイプの下敷きに中川勝彦(中川翔子の父親)の切り抜きを挟んでいました。ああ、うつくしい。 pic.twitter.com/HuW6jdPaW0— 薔薇園花江📦の概念 (@barazonohanae) March 9, 2015
ファンクラブ会報 『STARDUSTCLUB vol.13』
そうなんです、サンプラザではフロシンいつ演奏するのかなぁ✨って思っているうちに「おやすみ」って言って、終わっちゃったんですよね。
ファンの「あれ…?ザワザワ」みたいな雰囲気、今でも覚えています(笑)#中川勝彦 pic.twitter.com/6rAFsfUba9
— K’s HOLIC (@katsuhikonakag1) January 30, 2022
当時の会報を大事に保管している人や、切り抜きを下敷きにしていた人がいるなど、熱狂的なファンが多数いたようです。
特に女性からの人気はすごいですね。
しょこたんも父である中川勝彦も、根強いファンがたくさんいるという共通点があるようです。
中川翔子の父・中川勝彦の死因
この投稿をInstagramで見る
✅32歳という若さで帰らぬ人となった中川勝彦ですが、亡くなった原因は何だったのでしょうか?
中川勝彦の死因は、急性骨髄性白血病です。
1992年に急性骨髄性白血病を患った中川勝彦は、一度は持ち直したものの翌年夏に亡くなっています。
骨髄移植という選択肢もありましたが、家族に一致する型が無く、中川翔子の型を調べようとしたときには幼い娘の体に負担がかかることを危惧して中川勝彦自ら断ったそうです。
中川翔子は後からこの事実を知って申し訳ない気持ちになったといいますが、中川勝彦の優しさを感じますね。
その後中川翔子は2018年に日本骨髄バンク支援のCMに出演。
CMでは幼い頃の写真が使われるなど、親子の絆を感じる作品となっています。
中川勝彦にとってしょこたんがかけがえのない存在であったように、しょこたんにとって父親もとても大切な存在であることが、今回の話題に触れて分かりましたね。
今後も中川翔子には、父の思いを引き継いで芸能界で活躍していってほしいです。
まとめ
今回は、中川翔子の父親についてお話ししました。
要点をまとめます。
・父に対して当初は複雑な思いを抱いていた中川翔子だが、現在は彼女にとってとても尊い存在となっている
・中川勝彦は1980年代に活躍したマルチタレント
しょこたんが中川勝彦の娘である事実を発表したときは驚きましたが、画像を見るとたしかに顔が似ている気がしますね。
今後もマルチタレントとして活躍していくであろう中川翔子には、父との思い出を胸に芸能界を明るく照らしていってほしいです。