前田裕二の生い立ちが壮絶過ぎる!両親と死別し兄に育てられた衝撃の人生を密着調査!


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今回は前田裕二生い立ちや経歴についてお話しします。
現在「スッキリ」でコメンテーターとしても活躍する前田裕二。
若くして起業し、実業家として第一線で活躍していますね。

実は生い立ちが壮絶だったといわれています。
前田裕二って「天才」というイメージですが順風満帆な人生を歩んでいたわけではないんですね…。なんと両親との死別も経験したというウワサが!果たして事実なのでしょうか。
前田裕二の過去や経歴について詳しく確認していきましょう。

前田裕二の経緯・経歴をご紹介


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さっそく前田裕二の経歴や起業してからの経緯について確認しましょう。
現在『SHOWROOM』を経営する若手実業家として名を馳せている前田裕二ですが、敏腕経営者としての実績や周囲からの評判もやはりかなり高いようです。

業界内でも前田裕二に賞賛のコメントを寄せる人が多数いるみたいですね。
そして、これだけ注目されているとやはり年収や資産額も気になりますよね…

というわけで前田裕二の年収、また起業してからの経緯やSHOWROOMを経営し始めてからの実績など詳しくまとめてみました。

前田裕二の経営者としての実績が凄すぎる!


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まずは前田裕二の実績に迫ってみましょう。

前田裕二は現在、SHOWROOM株式会社の社長でありながら作家活動やテレビコメンテーター、講演会の仕事も精力的にこなしています。
情報番組「スッキリ」での鋭くキレのあるコメントに感銘を受けている人も多いみたいですね。

ベストセラー作家

2018年に発売した著書

「メモの魔力 The Magic of Memos」

引用:amazon

はなんと50万部を超えるベストセラーであり、他にも

「人生の勝算」

引用:amazon

という著書も発売しているのですがこちらも2020年3月時点で23刷9万部超のベストセラーとなっています。

本を書いても売れるってすごいですよね。
それだけ前田裕二の実力に注目する人が多いということでしょう。

各種メディアに多数出演

テレビ番組も「スッキリ!」の他に「世界一受けたい授業」や「アナザースカイ」「しゃべくり007」「深イイ話」など人気番組に多数出演。

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・2019年11月にはラジオパーソナリティもつとめ、ニッポン放送の看板番組「オールナイトニッポン」をジャックし「前田裕二のオールナイトニッポン」を放送。

・オールナイトニッポン放送直後にはSHOWROOMの24時間番組「前田裕二 密着24時~ニッポン放送からの挑戦状~」に挑戦し、番組放送中にゆうこすや蜷川実花、鬼龍院翔など7人ものインフルエンサーと対談し、白紙の状態から時間内に本のタイトルと価格、デザインを作っていくというあまりにもアクティブすぎる活躍をみせています。


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なんとこの24時間番組は早朝5時から29時までの放送だったというのだから驚きです。
オールナイトニッポンの放送が終わってからガチで24時間放送したんですね…
一体いつ寝ているのでしょうか?(笑)

このように前田裕二はSHOWROOM社長をつとめながら様々な著名人・ファンに多大な影響を与えています。
今後も誰にもマネできない行動力と一貫性で業界を盛り上げてほしいですね。

SHOWROOM株式会社とはどんな会社?(年商、従業員数、業態etc.)


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現在、前田裕二が社長をつとめる『SHOWROOM』はどんな会社なのでしょうか?

SHOWROOMは2013年11月に株式会社ディー・エヌ・エーが提供を始めたアイドルやタレントなどが仮想ライブ空間で生配信するサービスのようです。

ホームページはこちらですので詳細を知りたい方は是非ご欄下さい。

引用:https://showroom.co.jp/

現在は前田裕二がSHOWROOM株式会社を設立し、代表取締役社長をつとめていますが2019年12月31日時点で従業員数は100人、年商に関しては詳しい情報がなかったのですが実は設立以来4期連続で最終赤字が続いているようです。

SHOWROOM自体は赤字が続いているみたいですが、親会社のディー・エヌ・エーが割と大きい会社なのでしっかり経営できているのでしょう。

SHOWROOMの魅力はなんといっても所属ライバー(配信をする人)が自宅で時間のあるときにさっと配信ができるというもの。

その配信の内容に応じて視聴者がギフトをプレゼントし、それがライバーの収入になるみたいです。

ギフトは小銭のものから数万円のものまで多種多様。
昨今ではアルバイト感覚でSHOWROOMを利用する人も多そうですよね。

前田裕二の驚きの年収・資産額とは?


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前田裕二は『SHOWROOM』の社長を務めながら、テレビ出演や作家活動もしとるらしいが、一体、なんぼ位稼いどんのや?

かなり有名になり様々なメディアで見かける前田裕二ですが、現段階で公式に年収は公表されていないみたいです。
しかし、ネット上では年収を予測する人も。

それによると

前田裕二の年収は約3千万円なのでは?

といわれています。

SHOWROOMの仕事以外にもいくつか収入源があるため、それくらい稼いでいても不思議ではないですよね。

また資産額についても現在は公表されていませんが、会社の総資産が7億といわれているので前田裕二の資産額は数千万程ではないかと噂されています。
資産が億を超えていないのはちょっと意外でしたが、それでも充分すぎるくらいの額ですよね。

なんとなく前田裕二は無駄遣いなどせず計画的に生活してそうなので一気にドカンと稼ぐというよりは地道にコツコツ貯えていくのではないかな?と思います。

SHOWROOMが成長したら、今後年収や資産額も右上がりになることが容易に予想できますね。

起業して成功するまでの経緯が華麗過ぎる!

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ディーエヌ・エーに入社してから『SHOWROOM』を立ち上げるに至るまでの経緯もかなり華麗なものでした。

前田裕二が『SHOWROOM』を設立して成功するには苦労もあり紆余曲折もあった様ですが、やはり凡人にはなかなか真似出来ない人生が有りましたのでそのサクセスストーリーを見ていきましょう。

◆2010年に早稲田大学経済学部を卒業した前田裕二は、大学卒業後外資系投資銀行UBS証券株式会社に入社。

◆2011年にはUBS Securities LLCに移り、ニューヨークで北米機関投資家に対して株式セールス・アドバイザリー業務に従事していたようです。

就職後着実に給料が上がり経済的には余裕があった前田裕二ですが、同時に

自身の幸福度が上がっているかといわれたら微妙…

であることに気付いてしまい…

自身の「資本経済的、紙幣経済的な価値観」を個人の信用に価値を見出す「信用経済、価値経済的な価値観」にシフトしていきます。

◆その後代替不可能な価値を新しく0から作り出そう!というモットーのもと『SHOWROOM』を設立。

SHOWROOM設立前にはディー・エヌ・エーファウンダーの南場智子に事業立ち上げの相談をしていますが、前田裕二が敏腕経営者となるまでの道のりもなかなか大変だったようですよ。

当初は50個以上の起業アイディアを出しても不採用だったりと、とにかく苦労していたとのこと…

そして前田裕二が自身の熱量・すべてを注いでやりたいことは何かを考えた結果SHOWROOMが出来上がりました。

前田裕二は資本的な部分を優先に考えず、

とにかく頑張っている人が報われる世界をつくりたい!

という意思のもと『SHOWROOM』を立ち上げています。
SHOWROONでライブ配信をする人々も前田裕二のそのアツい想いに気付いていることでしょう。
だからこそ多くの人が利用し、信頼されているのだと思います。

それにしても、50個以上のアイディアを却下されるって気持ちが折れそうですよね(笑)
しかも起業前にあれだけエリートコースを歩んでいたのに…

良い大学を出て仕事ができる人が必ずしもスマートに起業に成功するわけではないということが痛いほど伝わりますね。

とにかく熱意と粘り強さが大事なのでしょう。

前田裕二の各業界からの賞賛の声がスゴイ!


画像引用元:Instagrammer NEWS
今でこそ敏腕経営者として知られている前田裕二。
華麗すぎる経歴を持っている彼ですが、やはり各業界から賞賛の声が後を絶たないようですね。

各界からの評価を聞いてみたいものや!

まず前田裕二がSHOWROOM立ち上げ前にお世話になっていたディー・エヌ・エーの南場智子も彼をかなり高く評価しています。

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実は前田裕二、就活中にディー・エヌ・エーから内定を得ていました。
しかし当時前田裕二は内定を蹴って別の会社へ就職…

一度は内定を蹴られた南場智子は、5年かけて前田裕二を説得していたそうです。
人材の質に妥協はしないと語る南場智子が5年間かけて採用したいと思うなんてそれだけスゴい人物なのでしょうね。

ちなみにディー・エヌ・エーの最終面接ではどうして生きるのか、何が自分の活力・モチベーションの源泉なのかということを話したそうですよ。

また昭和にも国民的アイドルを発掘し、現在もAKBグループの生みの親として名を馳せる秋元康でさえも前田裕二のことを

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「堀江貴文以来の天才」

と賞賛。

業界問わず前田裕二は多くの人に信頼され、高く評価されているんですね。
テレビ越しに彼を見ている私たちでさえ「スゴい」と思うのですから、一緒に仕事をしている人や彼の活動を間近で見ている人はもっとその才能を実感していることでしょう。

前田裕二の生い立ちを徹底追跡!汗と涙にまみれたロードマップがエグい!

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前田裕二の華麗な経歴をお話してきましたが、ここから彼の生い立ちに迫りましょう。

ここまでは誰もが羨む様な華麗な経歴と非凡な才能を併せ持つ人生の勝ち組としてのイメージしかない彼ですが、意外にもかなり壮絶な生い立ちと過去を背負っていたのです。

『天才には影がある』というか、何かしらの苦労が付きものですが前田裕二もその一人だったんですね。
ここからは、前田裕二の衝撃的な生い立ちや人生に解説していきます。

朝鮮人説はガセネタ!


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前田裕二は「韓国人・朝鮮人の合いの子」と噂されているようです。
また「帰化した」ともいわれています。

気になったので前田裕二が本当に韓国や挑戦人との合いの子なのか調べてみましたが…
とくにそういった情報は見当たりませんでした。
おそらくガセネタなのでしょうが…

どうやらこの噂が浮上するのには理由があったようです。
前田裕二は国籍に関するある衝撃的なエピソードがあります。

成人するまで無国籍児だった事実が発覚


前田裕二が韓国人・朝鮮人といわれるのには彼のある過去が関係しています。

なんと前田裕二、過去に

21歳のときに初めて国籍を取った

と発言していたのです。

つまり、帰化したということ?

更に深堀していくと、

どうやら無国籍だったのではないか?

といわれていることが明らかになりました。

日本には無国籍の子供が1万人いるようですが、実は民法内で

「法的離婚後300日以内に生まれた子供は前夫との子と推定される」

と定められています。

現在は離婚後に妊娠時期の証明を医師から出してもらえば現在の夫で出生届を出せるようですがその方法を知らなくて無国籍になるケースも少なくないそうです。

前田裕二の場合、『母親が新たなパートナーとの間に前田裕二を授かるも、出産が前の夫との離婚後300日以内だった可能性が高い』といわれているようです。

他にも何かしらの理由で出生届を出していないということも考えられます。

真相は本人が詳しく語っていないので闇の中ですが、いずれカミングアウトするのではないでしょうか?

それにしても、前田裕二以外にも無国籍の子供がたくさんいるって不思議ですね。

前田裕二の衝撃的の衝撃的過ぎる生い立ちを時系列で公開!

無国籍だったという衝撃の過去がある前田裕二ですが、幼い頃からの生い立ちもかなり過激で壮絶なものでした。

それでは、壮絶過ぎると言われる前田裕二の過去を紐解いていきましょう。

女手一つで育てられた母親と8歳で死別!

まずは前田裕二の両親についてですが、もともと前田裕二には父親がいなかったようです。

物心ついたことから父親がいなかったらしく、母子家庭で育ったみたいですね。
もしかするとお母さんは家事育児に忙しくて出生届を出していなかったのかも…なんて想像しちゃいました。

ワンオペ育児って本当に大変ですからね。

しかも女手一つで前田裕二を育ててくれた母親も彼がまだ8歳のときに亡くなってしまったのです。

幼くして孤独な人生を歩むことになってしまったんですね…
これだけでも相当壮絶且つ過酷ですよ。

母親の死因は?


では、前田裕二の母親は何故亡くなってしまったのでしょう?

現段階で母親の死因は公式に明かされていないようですが、前田裕二には10歳年上の兄がいて兄が当時18歳だったということで母親は38~48歳くらいだったのではないかと予想されます。

死因に関しては病気だったのか、不慮の事故だったのか…

明らかにはされていませんがこうしたデリケートな話題を深堀するのはちょっと胸が痛むので、想像の範疇にとどめておくべきですね。

親戚をたらい回しにされ小学生からアルバイトをする勤労少年時代


前田裕二の母親は彼が8歳のときに亡くなっていたようですが、その後親戚の家をたらいまわしにされたそうです。

更に経済的に逼迫していたため、『10歳で駄菓子屋のアルバイトをさせてくれ』と頼みますが当然断られてしまいます…。

それ以降お金を稼ぐ手段を自力で試行錯誤し、11歳のときに路上で弾き語りを開始させ徐々に稼げるようになったそうです。

弾き語りも当初は300円ほどしかもらえなかったようですが、いつの間にか月15万円も稼ぐようになったんだとか。

親戚の間をたらいまわしにされていた頃はややグレ気味だったそうですが、そうした逆境にも負けずに自身の力でお金を稼げるようになったのは素晴らしいことだと思います。

また、自身の著書でも語っているようにメモ魔である前田裕二は、小学校時代からノートは板書を書き写すだけでなく気付いたことを加筆したりシールや色分けをしたり工夫をしていたそう。

幼い頃からこうした探究心があったからこそ、大人になって成功したのでしょうね。

ホームレス小学生だった頃、住所が警察署だった事も。


8歳で母親が亡くなってから、前田裕二は1年弱の間定住する場所がなくホームレスのように放浪していたという情報もありました。

なんと警察署で寝泊まりしたこともあったそうですよ。
衣食住があることってどれほど大事なことは分かりますよね。

まぁ、住所不定の小学生が1人位おったかて、地球の回転に差し支えないがな!

その影響もあってか小学校2年生のときはまるまる一年間通学しておらず、前田裕二は現在でも小学校2年生で習うはずの九九が苦手なんだそうです。

あの敏腕経営者として知られている前田裕二が九九が苦手なんて信じられないですね。

精神的にも体力的にも相当厳しかったと思います。

10歳年上のお兄さんと支えあって生きてきたのでしょう。

平均睡眠時間3時間?中学・高校も働きながら学業をやり遂げ、名門早稲田大学に合格!

前田裕二は超難関の早稲田大学に入学しているのですが、その経緯がスゴイのです。

前田裕二は11歳のときに弾き語りでお小遣いを稼ぎはじめましたが、その弾き語りは中学2年生まで続け中学3年生になってからは鳶職のアルバイトをしていたそう。

前田裕二は筋がよく、『卒業したらうちの社員になれ』なんて嬉しいセリフもいわれていたといいます。
きっと真面目で頑張り屋な子供だったんですね。

その後高校に進学した前田裕二は、バスケットボール部に所属し朝練と放課後の練習で忙しい中アルバイトを二つも掛け持ちしていたといいます。

当時は早朝に新聞配達をしてからバスケットボールの朝練に参加、そして授業に出て放課後練習をしてからファミレスで夜遅くまで働くというライフスタイルでした。

なんと睡眠時間は3時間…

これはもはや睡眠ではなく仮眠ですよね。

3時間寝たあとはまた新聞配達を開始していたそうですが、本当に努力家なんですね。

お兄さんも前田裕二のような弟を誇りに思っていたでしょう。

その後早稲田大学へ合格。

偏差値は70というのですから、いかに前田裕二が優秀だったか分かりますよね。

前田裕二が感謝して止まない兄への想いが感動的!


前田裕二には10歳年上の兄がいるということですが、彼は「家族が何よりも優る」という考え方をしているようです。

なんとお兄さんは弟のために大学進学を諦めて就職しています。
お兄さんの前田裕二に対する愛は底知れないことが分かりますね。

また前田裕二は自身が幼い頃お金を稼ごうとして警察のお世話になってしまったことがあるんだとか。

それを知ったお兄さんは思わず涙を見せます…

その姿を見た前田裕二は

兄を悲しませず喜ばせたい!

と決意。
11歳で始めた弾き語りも兄への思いからだったそう。

現在お兄さんは結婚して奥さんと子供2人とともに幸せに暮らしているとのこと。
家族を優先するがために大手化粧品会社からのオファーを蹴ったり、仕事を午前中に切り上げることもあるんだとか(笑)

午前中できちんと仕事を切り上げられるということはお兄さんも前田裕二同様そうとう仕事ができるのでしょうね。

家族愛溢れるお兄さんとともに歩んだ日々は前田裕二にとってもかけがえのない思い出でしょう。

まとめ

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今回は前田裕二の生い立ちや過去・経歴についてお話ししました。

それでは、今回の記事の内容をまとめていきましょう。

前田裕二の過去まとめ

★前田裕二は『SHOWROOM株式会社』の経営者でありながら作家活動やテレビコメンテーター、講演会等、様々なフィールドでマルチに活躍している若手実業家です。

★SHOWROOMは2013年11月に株式会社ディー・エヌ・エーが提供を始めたアイドルやタレントなどが仮想ライブ空間で生配信のサービスをするITベンチャー企業です。

★前田裕二は『SHOWROOM株式会社』の経営者になるまで、早稲田大学を卒業後、外資系証券会社に勤務、㈱ディー・エヌ・エーとの出会いなど、エリート街道を突き進んできました。

★前田裕二には無国籍児で母親との死別、経済的困窮など壮絶な過去の持ち主ですが、腐る事なく努力で今の地位と成功を勝ち取ってきました。

前田裕二、若くして成功しているイメージでしたがこんな壮絶な過去があったんですね。
昔から努力家で向上心があったことが分かりました。

SHOWROOMと前田裕二の今後を応援したいですね。

長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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